いよいよ明日は大晦日。月並みながら、今回は、私個人の今年1年の振り返りをしてみたいとおもいます。
私が今年、興味を覚えたのは、歴史の勉強です。
歴史の勉強は、子供のころから学校でやらされますが、年齢が若いと、私のような凡人は、どうしても歴史を実感として捉えることが難しく思われます。ある程度年を取って、初めて歴史を人間の営みとして捉えられるようになることを最近になって実感しています。
先日、私は九州へ旅行に行き、その際、吉野ヶ里遺跡、大宰府都府楼跡、鴻臚館跡、元寇防塁、等々、いくつかの史跡を訪れました。
たとえば、吉野ヶ里遺跡は、弥生時代における大規模な環濠集落跡です。弥生時代とは、紀元0年をまたいだざっと700年間ぐらいの時期です。
この時代は、稲作が本格的に行われることにより、食料の安定的獲得、富の蓄積、集団生活、が始まった、と教科書で習いますね。
富が増えると、これが敵から狙われるので、これを守るために防衛力を高める必要がある。防衛のための施設が、まさに集落の周環濠や柵、そして『魏志倭人伝』の描写にあった、として有名な物見台です。
集団生活が始まると、身分の上下等も出てくる。特別な人が葬られたのではないか、として最近発掘されて話題になったのが、例の石棺です。
棺として以前からたくさん見つかっていたのは、甕棺墓ですね。これに対し、石棺は今回初めてなので、特別な身分の人のためのものだろう、と思われるわけです。
富を求めて戦争が起こる、人に見分の上下がある、死者を弔う、等々は、現代でも全く同じことが人の営みとして行われています。
時代はだいぶん後になりますが、元寇防塁も、戦争に備えた防衛施設です。
写真は、今も博多湾を望む「生の松原」(いきのまつばら)に残された元寇防塁です。
ここは、有名な「蒙古襲来絵詞」に描かれた場所とされています。
「蒙古襲来絵詞」は、この地域の防衛を担当した竹崎季長という御家人が、弘安の役における自分の活躍ぶりをアピールするために描かせた絵巻物です。日本史の教科書には必ず載っています。現在は、宮内庁が所蔵し、国宝とされています。
ちなみに、「元寇防塁」は、全国通訳案内士試験二次口述の通訳課題に出題があります(平成27年度 時間帯1)。
(以下引用)
最近、福岡では、バスの行き先を示す看板が、英語、中国語、韓国語で書かれています。福岡は、昔から中国や朝鮮と関係があり、元寇防塁などの史跡も見られます。(75字)
(『H27通訳案内士試験二次口述過去問詳解ダイジェスト』より)
また、「宮内庁」はプレゼン課題で平成29年度に出されています。国宝級の文化財をたくさん管理下に置いているからですね。
(『モデル・プレゼンテーション集 過去問編Ⅶ』「宮内庁」のモデル・プレゼンテーションが掲載されている)
元寇防塁を背に博多湾を臨むと、モンゴル軍が海の向こうから押し寄せてくるイメージが湧いてきます。
(つづく)