二次口述とハットリ君

こんにちは。杉森です。

昨日のメルマガ・ブログで、本年度の全国通訳案内士試験二次口述の出題内容について、情報提供を呼び掛けたところ、複数の方から情報をいただきました。

情報をお寄せくださった皆様、ありがとうございます。

さて、問題だったのは

①時間帯2(受付10:00-1025、試験11:00-12:00)の問題組1(通訳が「京都」の組)
⇒プレゼンお題のうち、①は「金のしゃちほこ」説と、単に「しゃちほこ」説、の2説。

②時間帯2(受付10:00-1025、試験11:00-12:00)の問題組2(通訳が「ラーメン」の組)
⇒プレゼンお題のうち、②は「漆塗り」説と、「漆器」説、の2説。

と、説が分かれている点でした。

実は、昨日以来、お寄せいただいた情報でも、まだ両説が存在します。

これは、情報をお寄せ下さった方のどちらかが正解でどちらかが間違っている、ということでは必ずしもなく、実は試験会場や試験委員によって若干のバリエーションが生じていた、という可能性もあります(過去にそういう例もありました)。

いずれ、どちらかに判断することになりますが、ソースは多い方がよいので、引き続き情報をお待ちいたします。よろしくお願いいたします。

ホームページトップにある緑色のバナーからのフォームをどうぞお使いください。上記2点以外の点についても、気が付いたことがあれば、ぜひ教えてください。

また、出題内容については覚えていない方も、受験の感想一般や、PEPへのメッセージ等、大歓迎ですので、どうぞお寄せください。

本年度の出題内容一覧表(暫定版)は、昨日のブログに掲載しています。

「二次口述の出題再現とお礼」(PEPブログ12/12月)

◇閑話休題
今年度の二次口述試験の東京会場は大妻女子大学で、アクセスのよい場所でした。最寄り駅に地下鉄半蔵門線「半蔵門駅」がありますが、これは近くの皇居の「半蔵門」に因んだもの。

半蔵門(皇族専用門なので近づけず遠景)

この「半蔵」は、ご存じ忍者の服部半蔵のことです。この辺りに忍者ハットリ君が住んでいたといわれています。

服部半蔵が江戸城の護衛についたきっかけは、有名な「伊賀越え」です。

本能寺の変(1582)の直接のきっかけは、織田信長が徳川家康の接待役を明智光秀に命じた際、信長が光秀を理不尽に叱責したこと、とよくいわれていますね。

この際、家康は信長と懇談するため、堺に少数の家来しか連れずにおりました。本能寺の変の後、家康は明智の追っ手を逃れて、命からがら山中を領国の三河へ逃げ帰ります。この際の道案内をしたのが、服部半蔵を中心とする伊賀の忍者たちでした。

半蔵のおかげで三河へ帰ることができた家康でしたが、秀吉の「中国大返し」に先んじて明智を討つことは叶わず、天下取りにおいて秀吉の後塵を拝することになりました。

ただ、半蔵はこの後、江戸城の護衛につくことになります。現存の江戸城の遺構建築に「百人番所」がありますが、ここに半蔵が勤務していたともいわれています。

百人番所

忍者は訪日観光客のアトラクションの1つです。もし「有名な忍者を挙げよ」といわれたら、ハットリくんを挙げてはいかがでしょうか?

▶PEPニュース
「伊賀越え」と「半蔵門」のエピソードは『モデル・プレゼンテーション集 過去問編Ⅳ』の「忍者」にあります。

(4,500円⇒2,800円のセール中)

「百人番所」については、『モデル・プレゼンテーション集 過去問編Ⅴ』の「江戸城」にあります。

(2,700円⇒2,500円のセール中)

「忍者」のプレゼンの別バージョンは、『モデル・プレゼンテーション集(予想問題編)VOL.4』の「忍者について」にあります。同書は「金沢」「七夕」「正月料理」「和紙」「桜」「大政奉還」「道後温泉」等々、ズバリ的中をたくさん出しています。

(2,500円⇒2,000円のセール中)